お待たせしました!
「もふりんと楽しむ聖書探検」第2回の始まりです。
第2回は・・・「幸福へ至る道」(中編)
もし、
をお読みになっていらっしゃらない場合は、先にお読みくださった方が、今回の内容をより楽しく理解できるかもしれませんので、ぜひ、ご覧ください。
さて、第1回では、ニコデモというユダヤ人の宗教の先生が登場しました。
ニコデモは、知識・権力・社会的地位・名声などなど、人がうらやむものをたくさん持っていたにもかかわらず、本当に満ち足りた人生を送ってはいなかった・・・
老年である自分を見つめたときに、死後、自分がどのようになっていくのか、その確信をどうしても得ることができなかったようでした。
ニコデモは、人目を避けて、イエスさまのもとを訪ねていきます。
果たして、ニコデモは、真の幸福へとたどりつくことができるのでしょうか?
石川牧師、今日も聖書について、いろいろとお話しできることがとても楽しみです。
どうぞよろしくお願いします!
石川 もふりんと一緒に聖書を読めるのは私も楽しいです。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
前回は、「ニコデモが、人には幸せそうに見えるけれど、実は幸せでなかった」というお話でしたね。
ニコデモは、イエスさまを訪ねて、本当の幸せを手に入れることができるんでしょうか?
石川 そうですね。イエスさまの応対に注目すべきところですよね。
では、聖書を改めて読んでみましょうか。
3:1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
3:6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
3:7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
新約聖書(口語訳) ヨハネの福音書 3書1節~8節、16節
聖書が語る真の幸福とは?
訪ねてきたニコデモは、2節でイエスさまにあいさつしていますよ。
イエスさまは、どのように答えたのでしょうか・・・?
石川 2節~3節を読むと、ニコデモが、「本当に満ち足りた人生を送っておらず、死後に対する不安がある」という自分の問題を打ち明ける前に、イエスさまはすでに、ニコデモがなぜ自分のもとを訪ねてきたのか、ご存じだったみたいですね。
3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
そうみたいですよね。ニコデモが、自分の悩みをイエスさまに言う前に、イエスさまは、すでにニコデモの悩みを見透かして、先に答えを言っていますよね。
イエスさまは、すべてお見通しってわけですね!
でも、「だれでも新しく生まれなければ、神の国=天国を見ることはできない」って、どういう意味でしょうか・・・
石川 確かにちょっとわかりづらいかもしれませんね。
実は、このひとことで、イエスさまは、2つの大切なことを言っているんですね。
その2つというのは、
- 「天国に入る確信」を得た者こそが真の幸福へ至る
- 天国に入るためには新しく生まれ変わる必要がある
ということです。
なるほど。ニコデモが聞きたいことに対して、イエスさまは、いきなり、ずばり、お答えになっていますね!
石川 ええ、そうですよね。まずは、第1のポイントである、
- 「天国に入る確信」を得た者こそが真の幸福へ至る
ということについて考えてみましょうか。
これは、逆に言うなら、
- 死んだ後に天国に入ることが約束されていないなら、そこには魂の平安=真の幸福はない
と言っているのと同じです。
第1話でお話ししたように、ニコデモは、ユダヤ人の宗教の先生であって、地位、名声、権力など、人がうらやむものを数多く持っていたことと思われます。
でも、宗教の先生でありながら、「自分自身が天国に入れる」という確信がなかったんですね。
だから、魂の平安を得ることができず、悶々とした人生を送らざるをえなかった・・・
イエスさまは、ニコデモの心の奥底にある、この深い問題を見抜かれていたようなんです。
確かに、死んだ後にどうなってしまうのかがわからなければ、とても不安です。
結局、死んで何も残らないなら、何のために生きていったらいいのでしょうか・・・
石川 ええ、確かにそういう思いになりますよね。
ニコデモは老年でしたから、その思いは一層強かったんでしょう。
- たとえ、この人生においてどんなに多くのものを得たとしても、それらすべてが死をもって終わってしまう・・・
- 後には何も残らない・・・
- 人の命はこの世とともに過ぎ去ってしまう・・・
これでは、私たちの短い人生において、いつまでも平安をもって幸福に生きることなどできません。
逆に、どんなことがあったとしても、「死んだ後には天国に入ることができる」という強い確信があった場合はどうでしょうか?
私たちの人生は、楽しいこともある一方で、ときに苦しく、つらいことも多く経験するかもしれませんが、もふりんはどうですか?
わたしも、時に苦しかったり、さびしくなることもあります。
誰かがそばにいてくれないかなぁと思うときがあります。
石川 もふりんも大変なことがあるのですね。
では、そのような中でも、毎日毎日が、天国という希望に向かって歩んでいるとしたらどうでしょうか。
それは、ひとことで言うなら、神さまと共に歩む人生です。
- いつどんなときでも、神さまがともにいてくださり、天国へと導いてくださっている人生・・・
- 苦しい時には助けが与えられ、悲しい時には慰めが与えられる人生・・・
- そして、死んだ後には、神さまが天国へと導いてくださる人生・・・
このような人生は、私たちに、何にも代えがたい魂の平安をもたらします。
そして、それは、時とともに色あせることがありません。
子どものときでも、青年になっても、老齢のときでさえ、天国は変わりません。
いつ、どのようなことが起ころうとも、たとえ、涙にくれる悲しみが襲おうとも、耐え難い苦しみに遭おうとも、常に、天国という希望を胸に抱きつつ、人生を歩むことができる・・・
実は、このような人生が、聖書が語る幸福なんですね。
死んだ後に天国に入るという確信が、真に満ち足りた幸福な人生をもたらすと聖書は語っているんですね。
毎日が天国へと続く階段みたいですね。
すごくわくわくした毎日を過ごすことができるかも。
新しく生まれ変わるにはどうすればいい?
石川牧師、天国に入れるという確かな望みを持って生きることが幸せであることはわかりました。
でも、天国に向かって毎日を生きるって、どうやったらできるんですか?
石川 それは、イエスさまがおっしゃった2つの大切なことのうち、第2のポイントが鍵となります。
イエスさまは、
- 天国に入るためには、新しく生まれ変わる必要がある
とおっしゃいました。
新しく生まれ変わるって・・・もう一度、お母さんのおなかの中に入って生まれなおすことができちゃうんですか?
石川 ははは、もふりんはニコデモと同じことを考えたようですね。3節と4節をもう一度読んでみましょうか。
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
ニコデモも、もふりんと同じことを考えて、「そんなことできるわけがない」と思ったみたいですね。
それはそうですよ・・・。
でも、聖書に書いてあるってことは・・・本当にできちゃったりするんでしょうか?
石川 実は、ここでいう「新しく」というのは、「上から」という意味合いを持つんです。
つまり、「上からの力をいただいて」、もっといえば、
「神さまから力をいただいて生まれ変わる必要がある」
ということを言っているんですね。
神さまから力をいただいて生まれ変わることが、天国に入るための秘訣である・・・と。
生まれ変わる力を神さまからもらえるっていうことでしょうか?
石川 ええ、その通りです。
もっといえば、神さまから力をいただく以外の方法では、人間は新しく生まれ変わることができません。
神さまから力をいただかない限りは、新しく生まれ変わって、天国に入ることができないと聖書は言っています。
私たち、生まれながらの人間は、
- 自分の力で自分を新しいものに変えようとする
- 自分で努力すれば天国に入れる
と思うことが多いではないでしょうか?
たとえば、
- 毎日、まわりの人に、親切にするように心がける
- 努力を重ねて、良い成績をおさめ、人から認められるような仕事をする
- 自分の悪いところを改善し、善い行いを心がける
- ・・・などなど
これらは、決して悪いことではありませんが、天国に入るためには不十分であると聖書は言っているんですね。
そういえば、ニコデモもたくさん勉強して、人がうらやむほどの立派な仕事をしていたんでしたっけ・・・
石川 ええ、ニコデモもそうでした。
先にお話ししたように、ニコデモは、ユダヤ人の宗教の先生でしたから、人よりも数倍の勉強を重ね、人の模範となるような生活をしていたことでしょう。
悩みで相談に来る人を励まし、有り余るほどの豊かな宗教の知識を、世のため、人のために生かしていたのかもしれません。
ニコデモは、地位、名誉、財産など、人がうらやむ多くのものを手にしてきました。
天国を目指し、自分の力で、自分を新しいものに変えようと老年に至るまで頑張っていました。
まさに努力の人といっても過言ではないでしょう。
でも・・・それでもです。
ニコデモの心には、自分が天国に入れるという確信が訪れなかった・・・
ニコデモは、自分の努力では新しく生まれ変われなかったんです。
そして、「新しく生まれ変われていないこと」で、天国に入れる確信が持てず、魂の平安からほど遠い、幸福から離れた生活を送らざるを得なかった・・・
これが、ニコデモに潜む最大の問題だったんですね。
なるほど。自分の努力では天国に入れないんですね。
神さまから力をもらって新しく生まれ変わることが大切なんですね。
次回予告
「本当に満ち足りた人生を送っておらず、死後に対する不安がある」というニコデモの悩みを見透かして、2つの的確な答えを返したイエス様・・・
- 「天国に入る確信」を得た者こそが真の幸福へ至る
- 天国に入るためには新しく生まれ変わる必要がある
ニコデモは、自分の努力では新しく生まれ変わることができなかった。
新しく生まれ変わるには、神さまから力をもらう必要があるという。
ニコデモは、果たして、神さまから力をもらって、新しく生まれ変わることができるのか・・・
いったい、神さまからどのような形で力をもらうことができるのか・・・
そのために、神さまが用意した人類への贈り物とは・・・
物語はクライマックスへと向かいます!
次回の「幸福へ至る道」(後編)をぜひご期待ください!
いかがだったでしょうか?
実は、この「もふりんと楽しむ聖書探検」は、毎週日曜日の主日礼拝で語られる石川牧師の説教の内容をもとに構成しています。
あなたも、日曜日に長久手キリスト教会に来ることによって、このような豊かな聖書のお話を楽しむことができます。
ぜひ、長久手キリスト教会で、私たちと一緒に聖書から恵みを受けてみませんか?
あなたのご来訪を心よりお待ちしています!
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