もふりんと楽しむ聖書探検

お待たせしました!

「もふりんと楽しむ聖書探検」第3回の始まりです。

第3回は・・・「幸福へ至る道」(後編)

「幸福へ至る道」のクライマックスを飾る最終回となります。

 

もし、

第1回「幸福へ至る道」(前編)

第2回「幸福へ至る道」(中編)

をお読みになっていらっしゃらない場合は、先にお読みくださった方が、今回の内容をより楽しく理解できるかもしれませんので、ぜひ、ご覧ください。

 

第2回では、「本当に満ち足りた人生を送っておらず、死後に対する不安がある」というニコデモの悩みに対して、イエスさまが2つの大切な答えを返されました。

それは、

  • 「天国に入る確信」を得た者こそが真の幸福へ至る
  • 天国に入るためには新しく生まれ変わる必要がある

という答えでした。

しかも、新しく生まれ変わるには神さまの力が必要であると・・・

今まで、自分の力で努力して、新しい自分に変わろうとしてきたニコデモにとって、まさに目からうろこのような話が飛び出してきました。

では、新しく生まれ変わるために、いったい、神さまからどのような形で力をもらうことができるのでしょうか?

 


 

もふりんもふりん

石川牧師、「幸福へ至る道」もついに最終回となりました。
毎回、聖書の話をわかりやすく聞くことができて本当に楽しいです。
今日もどうぞよろしくお願いします!

石川 もふりんとお話しすることで、私も聖書のおもしろさを改めて感じています。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

 

もふりんもふりん

前回のお話で、ニコデモが幸せを感じていないわけがわかってきました。
天国に入りたくて、自分の力で新しい自分に生まれ変わろうと努力しているのに、本当に天国に入れるかどうかがわからずに不安だったからなんですね。

石川 ええ。イエスさまは、新しく生まれ変わるには、自分の力ではどうしようもできなくて、神さまの力が必要とおっしゃいました。

改めて聖書を読んでみましょうか。

3:1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。

3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。

3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。

3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。

3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。

3:6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。

3:7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。

3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。

3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

新約聖書(口語訳) ヨハネの福音書 3書1節~8節、16節

聖霊が新しく生まれ変わらせてくださる

 

もふりんもふりん

人を新しく生まれ変わらせる神さまの力って、いったい何ですか?

石川 それは、聖霊です。5節でイエスさまは、「水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。」と言っていますね。

ここでいう「霊」というのが、「聖霊」を指すわけです。

聖霊というのは、簡単に言えば、私たちの心に住んでくださる神さまです。

つまり、神さまご自身が、私たちの心に働いてくださり、私たちを生まれ変わらせてくださるということなんですね。

 

もふりんもふりん

自分の力で、がんばって、新しく生まれ変わろうとするのではないんですね。
聖霊が心に働いてくださって、新しく生まれ変わらせてくださるんですね。

石川 ええ、その通りです。

人は、どんなに努力をしても、天国に入ることはできないと聖書は言っています。

この世のどんな教育も、訓練も、修行も、天国にふさわしくなるように根本的に人を変えることはできないと・・・

 

前編・中編でもお話ししましたが、ニコデモは、ユダヤ人の宗教の先生でした。

地位と権力があって、人がうらやむほどのたくさんの知識があったことでしょう。

でも、どんなに努力をして自分自身を良いものに変えようとしても、天国に入れるという確信は得られなかった・・・

天国が求める基準にまで自分を高めることはできなかったんですね。

 

そんなニコデモに対して、イエスさまは、救いの言葉を語られたんです。

「自分で努力するのではない。ただ聖霊のみが人を新しく生まれ変わらせることができる」と・・・

 

もふりんもふりん

きっと、ニコデモにとっては、とてもびっくりだったでしょうね!
聖霊なる神さまが心に働いてくださって、自分を変えてくださるなんて、思ってもみなかったかも。

石川 そうですよね。まさに奇想天外に聞こえたかもしれませんね。

実は、「新しく生まれ変わる=自分以外の他力に頼ることによって自分が変わっていく」というのは、キリスト教の最大の魅力のひとつといえるでしょう。

それは、自分自身で努力をして・・・頑張って・・・それでも、なかなか思うように改善しない自分自身に絶望した経験のある人には、なおさら大きな希望であり救いであるのではないでしょうか。

同様に、生まれながらにして自分ではとうてい逃れることができないような過酷な境遇で育ったり、人生の途中で不慮の病気や事故に遭ったりして、人生に耐えがたい苦しさを覚えている人もいるかもしれません。

そんな人にとっても、このイエスさまの言葉は、まさに明るい将来を約束する慰めのひとことだと思うんです。

 

聖霊が、人を新しく生まれ変わらせてくださる・・・

そして、聖霊によって、新しく生まれ変わった人のみが、天国に入ることができる・・・

聖書はこう言っているんですね。

 

もふりんもふりん

聖霊なる神さまが心に働かれると、人生が大きく変わっていくんですね。
人の根本を変えるなんて、聖霊は、とてつもなくすごい力を持っているんですね!

聖霊によってイエス・キリストを救い主と信じることができる

 

もふりんもふりん

石川牧師、聖霊が新しく生まれ変わらせてくださることはわかりました。
では、聖霊が心に働くと、どのように新しく変わっていくんでしょうか?

石川 一番の変化は、イエス・キリストを救い主として信じることができるようになるということです。

16節を見てみましょうか。

3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

この聖書の言葉は、キリスト教の根幹を言い表す言葉として、とても有名です。

ここで、「そのひとり子」という言葉と、「御子(みこ)」という言葉が出てきますね。

これらの言葉は、両方ともイエス・キリストのことです。

神さまは、私たち人間を含む「この世」を愛してくださったがゆえに、イエス・キリストを約2000年前に「この世」に与えてくださったんです。

 

もふりんもふりん

イエスさまがこの世に来てくださった日をお祝いするのがクリスマスですよね!

石川 ええ、私たちも毎年、クリスマスを祝っていますよね。

イエス・キリストがこの世に来られたのは歴史的な事実です。

 

そして、この16節の大切なポイントは「イエス・キリストを信じる者はひとりも滅びない」ということです。

ここで、「信じる」というのは、わかりやすく言うと、「罪からの救い主として信じる」という意味なんです。

もふりんは、という言葉を聞いたことがありますか?

 

もふりんもふりん

うーん。なんとなく悪いものだというのはわかるんですけど、うまく言葉で言えないです。
どう言ったらいいんでしょう・・・

石川 なかなか、言葉で説明するのはむずかしいですよね。

ちょっと暗い話になってしまうかもしれませんが、大切なところなのでお付き合いくださいね。

とは、ひとことで言えば、神さまと一緒に人生を歩むことをせずに、自分の力で好きなように人生を歩もうとする性質を指します。

 

罪は、いわば、自己中心、あるいは自分勝手という言葉に置き換えることができると思います。

そして、この罪が、ありとあらゆる多くの問題を引き起こします。

盗み、あざけり、ねたみ、無視、戦争など・・・枚挙にいとまがありません。

これらは、「自分さえ良ければそれで良い」という自己中心の思いが根源となって引き起こされるんですね。

「神さまなんてどうでもよい、自分さえ良ければよい」という自分勝手な歩みが、これらの問題の根源にあるといえます。

 

もふりんもふりん

自分勝手な思いが、罪のおおもとで、いろいろな良くないことを引き起こすんですね・・・

石川 しかも、悲しいことに、人は、この罪の束縛から、自分自身の力で逃れることができないと聖書は語っています。

罪は、私たちの内側に根深くはりめぐらされた木の根のようなものです。

自らの力で罪の束縛から逃れることなど到底できません。

だから、生まれながらの人は、神さまとともに歩む人生ではなく、自分の好き勝手に人生を歩まざるを得ないんです。

その行きつくところは、神さまとの永遠の断絶であり、天国とは程遠い、滅びの道を突き進むことになると聖書は語っています。

まさに、罪の罰を受けることになってしまうんですね。

 

もふりんもふりん

とっても心が暗くなってきました。どうしましょう・・・。
石川牧師、その罪の罰=滅びの道から逃れることはできるんでしょうか・・・?

石川 心配させてしまってごめんなさいね。

大丈夫です!

この罪の問題を解決してくださったのが、まさにイエス・キリストなんですね!

なんと、イエス・キリストは、十字架にかかることによって、私たちが受けるべき罪の罰を代わりに受けてくださったんです。

イエス・キリストの十字架

だから、イエス・キリストを、自分の罪からの救い主と信じる人は、滅びの道から救い出されて、永遠の命を得ることができるんですね。

つまり、天国へ行くことが約束されるんです。

 

もふりんもふりん

えっ!イエスさまが滅びの道から救ってくださるんですか?

石川 そうなんです。ですから安心してくださいね。

16節は、大切なところなので、もう一度見てみましょうか。

3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

16節の大切なポイントは「イエス・キリストを罪からの救い主として信じる者がひとりも滅びない」ということだと話しましたね。

ということは・・・

自分が罪の中を歩む自分勝手な人間だということを認めて、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる人は、滅びに至る道から救われて永遠の命が得られる=天国に入れる

ということなんです。

自分の力で歩んできた人から、神さまとともに歩む人へと新しく生まれ変わるんです。

 

もふりんもふりん

なるほど!イエスさまを罪からの救い主として信じることで、滅びの道から逃れることができるんですね。

石川 ええ、その通りです。

そして、この章の最初に話をもどしますが、イエス・キリストを罪からの救い主として信じることができるのは、まさに聖霊の力によってなんですね。

自分の努力によって、ではないんです。

もっと言えば、聖霊が心に働くことによってでしか、イエス・キリストを罪からの救い主として信じることができないと聖書は言っているんですね。

 

もふりんもふりん

あっ、だからニコデモは、自分でがんばっても、自分が必ず天国に入れると信じられなかったんですね。

石川 ええ、そうです。

ここで、真の幸福へ至る道を、最初からまとめてみましょうか。

  • 「天国に入る確信」を得た者こそが真の幸福に至る
  • 心に聖霊が働くことで、自分の心にある罪を自覚でき、イエス・キリストを罪からの救い主として信じることができる
  • 自分の力で人生を歩む人から、神さまとともに人生を歩む人へと新しく生まれ変わることができる
  • そして、天国に入る確信を得ることができ、「真の幸福」=「揺るぎない魂の平安と喜び」を得ることができる

これが、聖書が語る「天国への確信を得た人の人生」であり、「真の幸福へ至る道」全貌です。

 

もふりんもふりん

ニコデモは、イエスさまと出会うことで、このことを知ることができたんですね。
本当によかったです!

聖霊が心に働いているってどうしたらわかるの?

石川 人は、イエス・キリストと出会うときに、その人の人生が本当に大きく変わります。

その人の心に聖霊が働いてくださって、イエス・キリストを罪からの救い主として受け入れると、自分勝手に歩んでいた人生から神さまと共に歩む人生へと変わることになりますからね。

それは、180度の転換といっても言い過ぎではありません。

聖書には、イエス・キリストに出会って人生が変えられた人がたくさんいますよ。

 

もふりんもふりん

石川牧師、そのことなんですが、さっき、お話ししていて気づいたんですけど、はじめに聖霊が心に働かなければ、イエスさまを罪からの救い主として信じることができず、新しく生まれ変わることはできないんですよね。
では、自分の心に聖霊が働いているって、どうやったらわかるんでしょうか?

石川 聖霊は、私たちの思いを無理なく誘導してくださいます。

ですから、たとえば、

  • 教会に行ってみたいと思う
  • 聖書を読んでみたいと思う
  • 今、教会に行っていて、聖書のことばに触れている
  • 親がクリスチャンで、親と一緒に教会に行っている
  • 夫や妻がクリスチャンで、聖書の話をそれとなく聞いている
  • 友人から教会に行こうと誘われている
  • などなど・・・

というようなことが当てはまる場合は、聖霊が働かれていて、その人が、イエス・キリストを罪からの救い主として信じることができるように導かれていると考えてよいと思います。

なぜなら、先ほどお話ししたように、生まれながらの人間は、罪の束縛があって、自分勝手に好きなように人生を歩まざるをえないため、決して自らの力でイエス・キリストを信じようとする方向に向くことはないからです。

もし、教会に行こうと思っている、聖書に興味があるなど、上記のうち、どれか1つでも当てはまるなら、それは聖霊が働かれている証拠といえるのではないでしょうか。

聖霊が働かれて、真の幸福への道へと導いてくださっている・・・そう考えてよいと思いますよ。

 

もふりんもふりん

なるほど。教会に行ってみたいだとか、聖書の話を聞いてみたいだとかは、聖霊がその人の心に働かれているからこそ、そう思うんですね。

石川 ええ、聖霊は、人の思いに働いてくださいますからね。

もっと言えば、この「もふりんと楽しむ聖書探検」を読んでくださっているということ自体が、聖霊が心に働いてくださっている証拠といっても過言ではありません。

そして、そのように聖霊が働いてくださっているなぁと感じる人がすべきことは、そのような聖霊の働きを素直に受け入れることだけなんです。

聖霊が、自分の中の罪に気づかせてくださり、イエス・キリストを罪からの救い主として信じさせてくださる・・・その働きを素直に受け入れることで、新しく生まれ変わり、天国に入ることができるんですね。

教会は、そのような聖霊の働きに寄り添って、人がイエス・キリストを罪からの救い主と信じることができるようサポートする役割を持っています。

ぜひ、長久手キリスト教会がお近くであれば、長久手キリスト教会へ、そうでなければ、お近くの教会へと足を運んでみてください。

きっと、その先に「幸福へ至る道」が用意されているはずです。

 

もふりんもふりん

石川牧師、わたしは「幸福へ至る道」がどんなものか、そして、どのように手にすればよいのか、今、やっとわかった気がします!
「幸福へ至る道」というのは、自分でがんばって得るものではなくて、神さまが用意してくださっているものなんですね。
聖霊なる神さまの働きを素直に受け入れればいいんですね!

石川 ええ。聖霊が、イエス・キリストを信じることができるように、優しく導いてくださると思いますよ。

 

もふりんもふりん

わたしは、なんだか聖書って本当にすばらしいなぁって感じました。
いろいろとお話しくださって、本当にどうもありがとうございました!
今度、また、聖書のお話を聞きに来てもいいですか?

石川 もちろんです。私も、また、もふりんといろいろと聖書のお話ができることを心待ちにしています。

また、機会を見つけて、一緒に聖書を楽しみましょうね!

 

もふりんもふりん

今日は、本当にどうもありがとうございました。

石川 こちらこそ、どうもありがとうございました。


 

「幸福へ至る道」・・・あなたは、どのようにお感じになったでしょうか?

もし、「幸福へ至る道」に興味をお持ちでしたら、ぜひ、長久手キリスト教会に足をお運びになってはいかがでしょうか?

あなたが、幸福へ至る道への一歩を歩みだせるよう、心を込めて、サポートさせていただきます。

 

実は、この「もふりんと楽しむ聖書探検」は、毎週日曜日の主日礼拝で語られる石川牧師の説教の内容をもとに構成しています。

あなたも、日曜日に長久手キリスト教会に来ることによって、このような豊かな聖書のお話を楽しむことができます。

ぜひ、長久手キリスト教会で、私たちと一緒に聖書から恵みを受けてみませんか?

あなたのご来訪を心よりお待ちしています!

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