ごあいさつ

ごあいさつ 石川 和男(いしかわ かずお)牧師

言葉とは不思議なものです。死にそうな人に生きる力を与えることができますし、また元気な者を一瞬でどん底に突き落とすこともできます。

そのような言葉の魅力に惹かれて学生時代、文学を学びました。また当時、流行りのニューミュージックに夢中になりました。松任谷由実の色彩豊かな詞に感動し、中島みゆきの魂をゆさぶる言葉に時を忘れました。

そして、20歳の時、とうとう神のことばに出会いました。あれから40年余、その神のことばに生かされて今日まで元気に生きています。

1962年(昭和37年)9月、栃木県栃木市 (旧西方町)に生まれ、山沿いの町で小・中学校時代を過ごします。
1981年(昭和56年)3月、栃木市の高校を卒業後、東京の大学に入学。
1985年(昭和60年)イースターに聖書キリスト教会(東京都新宿区)で、尾山令仁牧師より受洗しました。
その後、東京神学校(新宿区)に学び、卒業後、ウェストミンスター神学校(USAフィラデルフィア)にて新約聖書を学びます。
修了後、浦和福音自由教会で1年間実習を受けた後、日本長老教会に加入。
千葉みどり台教会(千葉県千葉市)、伏屋キリスト教会(愛知県名古屋市)で牧師を務め、2019年4月、長久手キリスト教会に赴任し、現在に至ります。
 
もうすぐ創立40周年を迎える長久手キリスト教会が、祈りと愛に満ちた教会として、イエス・キリストの福音を地域の皆さまに届けることを願っております。

長久手キリスト教会 牧師 石川和男

私が教会に来たキッカケ

Aさん(50代 男性)

約5年前、私は長久手キリスト教会のWebサイトを観ておりました。その中に「牧師カフェ」なるものを見つけました。その当時の私は、善人とは、ほど遠い素行の悪い生活を送っていました。

「牧師カフェ」当日、そわそわして勇気を出して教会のチャイムを鳴らしました。すると石川牧師が出迎えてくださりました。はじめて教会に足を踏み入れました。とても緊張しました。牧師は、身の上話を聞いてくださいました。

牧師は、聖書のルカ福音書18章9~14節を一緒に読もう、とおっしゃいました。誰でも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるのです。心から悔い改め、素直に自分の罪を告白するものを、主はお救いになられます。このたとえ話を牧師がゆっくり解説してくださいました。

取税人のような私でも、クリスチャンとして生活する希望を持つことができる。これが私の信仰への入口でした。主は犯した罪を悔い改める者を愛してくださいます。

牧師の熱心な教えと、励ましにより、ひとつひとつ、じっくりキリスト教について学び、2025年の4月のイースター礼拝で受洗し、晴れて教会員の生活をスタートしました。ぜひ、一度、悩みや、生きていることの真実を知りたい方は「牧師カフェ」の扉を叩いてみて下さい。

Bさん(60代 女性)

私は祖父母がクリスチャンだった事と、近所のキリスト教の幼稚園に通った事で、神様がいつも私を見ている、いつかは教会に通ってみたいと子供の頃から思っていました。

夫の転勤により大阪や東京を経て、三十数年前、私にとって初めての土地に来ました。初めて の土地の生活になじめないなか、身近な人の価値観の超えられない違いから、ダメと言われる 自分、でした。こんなはずではない、本当でない自分の生活に区切りを付けなければならないと決めた私ですが、クリスチャンの叔母の助言もあり、区切りを付ける前に、ちょっと教会へ行ってみようと思いました。

そう考えた頃、いつも買い物をする店で、以前子どもの関係でお話しした事があるブルース・ヤング宣教師夫人のスーザンさんを見つけ、思い切って声をかけ、礼拝開始時間など教えて頂き、不安なく教会へ行く事ができました。礼拝に参加しはじめて間もない頃、大人への説教の前に、ヤング先生から子供たちへのお話がありました。

十字架の意味も罪の意味もまだ知らなかった私と幼い息子も一緒に聞いていました。先生はハート型に切った白い紙を示して、「イエスさまの心は真っ白です。あなたたちの 心は何色ですか?」と問いました。

先生の答えは「私の心も真っ黒です」でした。この先生は 自分の心が真っ黒だとおっしゃる、それを聞いて、私の心がすうっと楽になるのを感じました。ダメと思う自分でも「そのままでいいんだよ」と言われた気がしました。

イエスさまを見 上げて歩いていけば良いのだと。その後、教会での学びや姉妹たちとの交わりを通じて、次の年の12月には洗礼を受ける事ができました。心から感謝しています。

Cさん(20代 男性)

私は幼い頃から両親とともに長久手キリスト教会に通っていました。教会学校やジョイジョイクラブ(子ども向けの集会)を通して、聖書に触れつつ、楽しく教会に行っていました。同じ信仰をもつ同世代にも励まされ、高校1年生の春に信仰告白に導かれました。

そんな私ですが、教会から離れそうになるタイミングもありました。高校3年次にコロナ禍となったことで、目標としていた海外研修や部活の大会がなくなり失望していました。学校もなくなり、受験勉強にも気持ちが向かない日々が続きました。なぜこんなことが許されているのか理解できず、神さまとの距離も離れていきました。

しかし、教会の方たちから受験のために祈り支えてもらい、感謝なことに第一志望の大学に合格することができました。あるとき、ルカの福音書15章「放蕩息子のたとえ」の箇所を読み、教会から離れようとしていた自分に対して、父親である神さまの方から駆け寄ってくださること、大学や同世代のクリスチャンとの交わりが備えられていたことを教えられ、神さまと再び向き合っていくことができました。

幅広い世代が集まる教会という場所に幼少期からずっとい続けられていること、多くの人の祈りに支えられ、成長を見守り続けられていることに感謝します。

Dさん(70代 女性)

事の発端は、『教え子の親たちの知人』の、突然の来訪でした。40年近い昔のことです。

全く知らない人だった彼女は、しきりに「教会に行きましょう」と誘うのです。のらりくらりとかわしていた私は「無料の英会話教室がある」との一言に興味をもち、行ってみました。

そこでの『礼拝』なるものに強い違和感をもった私は「こんな変な人たちみたいにはならない、絶対に!」と思ったことを、今でも鮮明に覚えています。

しかし、英会話教室で示された『詩篇139』に衝撃を受けました。そこには、私が長年感じていた『なんだかわからないけど、偉大な何かが私に関わろうとしている』という不思議な感覚がそっくりそのままそこに書かれていたのです。

受洗から30年が経ちました。
私は今、その『変な人たち』と共に、長久手教会で礼拝を続けるという恵みに預かっています。ハレルヤ!

Eさん(70代 男性)

病や失業を通して、本来神に造られた私が神なしに自分の力で人生を生きることは不可能だと思うようになっていました。不安と恐れに苛まれながら最後は自分で何とかしなければならないということに限界を感じていたのです。神に造られた私が神を忘れて生きることを「罪」というと何かで目にしました。

その頃、知り合いが教会で洗礼を受けたことを知りました。私もいろいろな説教を読み漁り、次第に十字架の贖罪と復活をなさったイエス様を自分の救い主と信じるようになりました。

同じ頃、「一匹狼のクリスチャン」という生き方は矛盾している、地域教会に属して、兄弟姉妹との交わりを通じて霊的成長はなされると頻繁に示されました。そこで、いくつかの教会の牧師と面会し、礼拝に参加してみましたが自分にピッタリの教会が見つかりませんでした。諦めかけていたとき、長久手教会のホームページを目にし、最後にこの教会を訪ねてみようと思いました。

何度か礼拝·集会に参加する中で、互いのことを思いやり合い、真剣に信仰に取り組む信徒達の姿を拝見し、また石川先生の聖書解釈に魅了され、信仰のご指導に何度も励ましを頂きました。そしてこの教会ならと、洗礼を授けて頂きました。今から振り返ると、すぐには答えに行き着きませんでしたが、神は忍耐を持って私を導いて下さり、神と共に生きさせて頂くという最善の道を歩ませて下さっていたとしみじみ思います。

Fさん(50代 女性)

20代の頃、米国留学中にクリスチャンのホストファミリーとの出会いがきっかけでした。どのようなところかのぞいてみようと、誘われるまま軽い気持ちでついて行きました。とてもにぎやかな所で、大勢の人が集まり、聖書の話を熱く語る牧師、熱心に話を聴き、歌い、祈る人たちを興味深く眺めていました。

八百万(やおよろず)信仰、仏教、先祖崇拝が当たり前の日本で育った私にとって、聖書に書かれている、天地を創造された唯一まことの神が存在するという事はすぐには理解出来ませんでした。しかし、聖書を学ぶにつれ、聖書に書かれていることがすべて事実であること、私達が生きているこの世界のあらゆる問題の答えは聖書の中にあること、その唯一まことの神が今も生きて私に働きかけて下さっていること、わが罪の為にイエス・キリストが十字架に架かって下さったことを知り、我が罪の悔い改めと共に信仰者として歩み始めました。

帰国後も通える教会が見つかるだろうかと案じていましたが、神様の導きにより、帰国した数日後にこの長久手キリスト教会に出会うことができ、今もここで信仰生活を送らせて頂いています。ただただ神様の憐れみに感謝するばかりです。